2011年02月04日

「同級生」と半日

 昨日、所要があって久しぶりに同級生と会った。
お互い年輪を重ねた印象は一瞬感じられた。彼は、白髪であった。
経済的には、小さいが2代目が継ぐ企業の会長で問題ないが、苦労したのかかもしれない。しかし、すぐに若からし頃に戻り、話題も人生の一番燃えていた時代の話になった。
 目は若い頃の輝きもどり、口調も滑らかであった。話題は国政、市政、教育、経済、登録商標、人生経験、スポーツ、職業、宗教論と多岐に及んだ。今の生活に話題が移ってもやりたいことは、起業の話であったり、一人暮らす自宅をアンチーク風に改装し人が憩う空間しようと思っているらしい。
 実際に自宅に招かれたが、その感が強かった。ベンツも暗い車庫
にあったが、隅々まで整頓、清掃が行き届いていた。
器用さやまめさは変わりなかった。実に、思いの実行と実現をする同級生に変わりはなかった。年輪は重ねてはいるが青春をしている感が
強かった。ある詩人が「青春とは希望を持ち続けることだ」と云って
いたがその通りだと思った。
 互い、まだまだ「やりたいことをを持っている。」・・・・そんな半日で
あった。また、ステンドグラスの輝く部屋で元気で同級生の数を増やし会うのが楽しみである。出してくれたクリ―ム餡蜜も・・・・・」
 4時間も会話し、健康の話がなかったのも青春している者の証拠であった。
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2011年02月03日

「心のブラックホール」

 宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしい。
超重量のため光子さえ飲み込んでしまうらしい。
 先日、若い講師と話をしていて、塾生が「あの先生に教わりたい」と
思わせることが大切なんだ。「人を引き付ける人間だ」ということになった。 そうしたら、若い講師が「心にブラックホールを持つことですね。」
といった。一瞬「暗部を持つか?」と連想したが、そうではなく、目に見えないが、人を引き付けるものとして表現したと思い直し感心したわけである。
 若者らしい発想である。
 心のブラックホールを持ち、人を引き付けるならば確かに豊かな生活が過ごせそうである。
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2011年02月02日

「ある日本画家の一言」

 東大寺の襖絵をこのほど描き上げた日本画家の言葉に
「ことさらに対象を見つめる」とあった。
 夏の朝蓮池の花を日にちと時間をかけて見る。
 冬の日、鳥海山を年をかけて見る
 そして、描く。  そうである。
「ことさら見る」教育も正に「人をことさらに見て感じる」必要がある。
 自ずと指導のあり方が見えてきて、それを実現しようとする弛まぬ
努力と実践が生まれる。
 
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2011年01月31日

「悪くても感謝」

 「悪くても感謝」とある二世俳優が話していた。
「良いことに感謝」することがあっても「悪いことに感謝」すると言ったことは、めったにきかない。
 病気になって、入院を余儀なくされた時など「これは、今を見つめ直す良いチャンスである」と感謝するそうである。
 「何かの仕事が出来なくなったときは、新しいチャンスが生まれる。」
と感謝するのだそうである。
 なるほど、心理学用語でいう「ゲシュタルト」柄と地を反転する考え
に似ている。
 窮地をチャンスに変えることが出来る方法でもある。しかし、基本的には、反転できるのも、反転した世界をつくり出す、反転した世界に生きる能力を持つ必要はある。
 それにしても、「悪くても感謝」するは、心の新境地に至る、窓口になるかもしれない。
     
posted by 東葛MAXゼミ at 23:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

「光陰」

 「光陰矢の如し」と云いますが誠にその通りと感じています。
この、光陰は、時には非情な事態を引き起こすことがしばしばある。
体の変調などが特にそうで、少し具合が悪いと思っていっても、大丈夫を思い月日を経過させてしまう。いつの間にか、数ヶ月、1年とたってしまい病気を進行させてしまうのである。
 友人関係などの人間関係もついつい連絡を長引かせ大切な人を
失う結果になる。
 また、こじれた人間関係など、一層回復に時間が掛かる結果になる。
 何がの事業においても、チャンスを失ったりや停滞を招き、気づいた
時には、坂道をこころげ落ちることとなる。
 「光陰」は、厄介で、とくに油断するといけない。
 ですから、日頃より「一所懸命」がよろしい。反省ばかりであるが。
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2011年01月26日

「今日思う人生」

 作家、瀬戸内寂聴が書く文章に次の一説がある。
「振り返れば人生とは、会うべくして会った、なるべくしてなった」「大きな摂理の中で動かされてきた。」と言うほかない。としている。
 私も、振り返ってみると、皆そんなに大差なく平らなようなきがする。
 しかし、平らでも、充実感は、人それぞれのような気がする。
 「命がけで生きてきた」者とそうでなく生きてきた者とは充実感は違う
だろうし、人生を掛けられる仕事を持った者とそうでない者との幸福観隔たりも大きいと思われる。
 「一生の仕事を持つことは、その人にとって幸いなこと」である。
よくおくふろが「一生の仕事を持ちなさい。」と口癖のように云っていた。自分にとっては「教員」として、今でも教育関係者としていられる
ことは幸いである。
今日も塾生と将来について話し合うことが出来た。
塾生の母親は「資格を持ちなさい」といっているという。
 確かに、「資格」は、安定した生活をする為のパスポートである。
 「資格」は安心して生活するための糧になり得る。
 私も大賛成である。
 「美容師になって店を持つ」ことが中2女子生徒の希望であると言いう。とてもよいことである。
 小学6年生の男子の一人は、「船乗り」になるため「商船学校」を
目指したいとのことである。
 前年秋に、鉄道員になりたかった卒塾生が「東武鉄道」に入社できた。とても嬉しいことである。
 今、人生について塾生と話せることは、自分にとって感謝できる人生
を送っているような気がする。
 あす、また頑張れる。
posted by 東葛MAXゼミ at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「兄弟姉妹」

 私は、兄弟姉妹5人いた。一番下だ。よく「バッチ」と言われた。
末っ子の意味である。
 姉二人は、8才と生まれて8が月で亡くなった。病気である。
残ったのは、男3人で物心付くまで、男3人兄弟だとばかり思って
いた。
 今や、その兄達も、病気が原因で他界し、自分一人となった。
勿論、父親も2歳のとき母親も自分が21才の時亡くなっている。
しかし、ことあるごとに兄達は、側にいるようような気がしている。
 先日新聞で、斉藤茂吉の詩が載っていた。
 「弟と相むかいてものをいふ互(かたみ)のこえは父母のこえ」
 とあった。
 自分も時より、塾生と笑うが、その笑い方、声は直ぐ上の兄と
良く似ている。「はっとする」し、複雑な気分にもなる。
 遺伝子は、脈々と続く。「血は争えない」とよくいうがその通りである。
 現在、怠慢のつけがまわり、苦境にある。生きていた時には、頼りにしなかった、兄貴達に相談したい気分になっている。
 不思議なものである。「霊験」があるように思えてくるからだ。
 しかし、「沈黙」あるのみである。
 その沈黙の中に、ふつふつと感じるのが「働き者」の遺伝子である。
 人の助けをかり感謝しながら「働く」しかない。このことである・・・・・
posted by 東葛MAXゼミ at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

「つけ」

 「つけを払う」、「つけを回す」といったことをよく言うが、この「つけ」を溜めるとえらいことになる。
 仕事にしても、きちんと始末せずにいると、溜まりに溜まって処理できない状況になり、誤魔化すか、誰かの手を借りることとなり信頼を失う。また、人生といった長いスパンで考えても、疲労や暴飲、暴食のつけは生活習慣病となって現れる。この「つけ」は相当痛い。
 そこで、「つけ」のない生活をしようとするが、これがまた難しい。
見方を変えたりすると、「つけ」はどんなところでもついてまわる。
 「つけ」のない生活はないと思ってよいような気がする。
 「リスクマネージメント」は「つけ」の一部は解消できる。
 「つけ」を少なくするするには、どうすれば・・・「一生懸命」が特効薬になりそうである。
 いま、私は、「一所懸命」が必要な時期である。
posted by 東葛MAXゼミ at 20:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

「現実と希望」

 「現実の先に希望がある。」と云った人がいた。
 役立つ表現である。
 「何でこんな勉強をするの?」のいう塾生がいたりする時、指導しやすい。「希望といかなくても、何かやりたいことがあった場合、現実で歩を進めない限り、やりたいことは見えてこない。希望が持てない、実現
することは出来ないからである。現実での努力なしに夢を追うは、夢想にすぎない。
 夢と現実とは陸続きなのだ。避けて通ることは出来ないのである。
「現実の先に希望がある。」は、名言である。
 
posted by 東葛MAXゼミ at 20:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

余白と沈黙

 「余白の美」と書道界では云われ、用紙に墨で書かれた文字と余白とのバランスを大切にする。熟達すると、文字以上に余白の形が
一種のリズムを生み出す。
 リズムといえば、ピカソも絵画から音楽を感じて欲しいと云っていた文を読んだことがある。絵画の主題と背景の妙でる。
 文学でも、「言葉と沈黙」とがあって、言葉は文体、文章であり、沈黙とは何かと思えば余白であるという。上手い表現である。
 教育委員会の指導主事であったと時、先生方の国語の授業指導
にあたり、「文学教材は行間を大切にしましよう。」といい続けてきたが
具体的指導(自分の思いを語るため)となって、文学の面白さが半減することがあった。

 このとき、「言葉と沈黙」とを持ち出し、先生方と研究したらもっと先生個人の児童生徒の豊かな発想を引きだせたと思った。
 勉強不足を今日気づかされる。残念である。
 文章間の「沈黙」いろいろ思い起こす。感性が踊りだす。
 「神は沈黙する。」といった人もいた。
posted by 東葛MAXゼミ at 13:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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