2016年03月17日

メールの功罪

 メールは道具、使いようである。友人に簡素化した文書を送り
大変迷惑をかけてしまった。こちらも、大変な労力をしてしまった。
 便利、わかるだろう。と使い方を軽んじたための悲劇であった。
 そこへいくと電話は、音声で情報量も多く間違いが少ない。
今回も電話も初めにしたのだが、繋がらなかった。そこにまた、悲劇
の複線が潜んでいたわけである。
 事故、いろいろな条件が重なっておきるが、道具の使い方をあやまると
大ごとになる教訓を得た。メールは道具である。
posted by 東葛MAXゼミ at 12:24 | 千葉 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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