2011年03月04日

「比較」

 今や比較社会だ。
「あの人よりこの人」「このグループよりこっちのグループ」「この店よりあっちの店」「この会社よりあの会社」「こっちの大学よりあっちの大学」
「こっちの学校よりあっちの学校」「あっちの塾よりこっちの塾」「この品
よりあの品」最近では、「この家庭よりあっちの家庭」といった、様々の
ことを、比較して優位なところ、都合の良いところ、利益のあるところ
格好がよいところに鞍替えしている。
 いわいる、物や事を選択して行動する形になっている。この行動は、確かに、豊かさへの比較力、判断力が身に付くかもしれない。
 しかし、気をつけて考えると、自分でつくる過程が少ない、他人がつくった(創った、造った、作った)物ばかり、自分でつくったりものはほとんどない。中には、人のつくったものを紹介して大手を振っているものもいる。あたかも才能があるように。他人のつくったものでブームをつくり
人気者になっている人もいる。どれも、比較に価値を見出す文化であり創造に価値を見出す文化ではない。
 ですから、無責任社会になること必定である。自分が関与してつくったものでないので製造、制作の責任、主体がないからである。
 社会に必要なのは、進歩に重きをおいた自分の創造、組織を発展
させる行動と協力、そして、創造。自分を成長させる熱意に価値を置く社会が、ものづくり社会が重視される必要がある。すなわち、比較ばかりしていると自分がつくれず主体が無く、流行に右往左往する人間になるからである。
 自分を磨く塾生、わが塾を良くしようとする講師、塾を信頼している保護者が多くいる塾ではあるが、一層発展させたい。 
posted by 東葛MAXゼミ at 02:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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