担任になれる。といった制度を設けようとしていると聞いた。
そうでない4年大学の卒業生は、副担任であると聞く。
確かに、大学を卒業、教員採用試験に合格した者が、担任となって、特に小学校などは、直ぐに教育活動が4月よりはじまる。
このことは、問題が多くはらんでいるいることは間違いない。
しかし、大学院大学でどのような教育を受けるか未知であるが、
やはり、卒業してすぐに、あるいは、未知数のまま、担任となる形となろう。それが、はっきりと担任となれるとなったりすると、現場では考慮
の選択肢がなくなりギクシャクする結果につながる。
国は、教育をいつも金のかからない方途で制度化し、100年の計の教育をいじり、あたかも、仕事をしているといったパフォーマンスを見せている。それでいて、財政が圧迫しているのに、高校の無料化など
本当に必要なのか、疑問の残ることをしている。
現場に任せない、信用しない、高みから制度は、効果が薄い。
担任制度にせよ、無用化にせよ教育現場に予算や人的投入をし、検討の機会を与えればきっと良い案が生まれるはずである。
お金を教育現場に使い先生方を増やせば、実践を通し現場に合った担任教師を決めることができるはずである。
それに、安心安定して働けるから教育に創意工夫出来る教員に
に争議権を与え、お金の件についても責任をとらせ、教員を一層
多忙に、不安定にしようとしている。「愚」である。
表面の策、絆創膏的策でなく、人心が物質化、硬化しているところ、人心乱れを何とかする政策がほしいと感じる。