2014年04月26日

友人の死

 友人の葬儀に参列した。火葬場にもー
「骨となった」まさに、友人の一生のおわりである。
 肉体が滅びて、友人の残した、曲や影響は、わたし
にとって鮮明になった。
 足跡は、残るもののようだ。そして、多少の変化を
もたらし次代につながっていくようである。
 自分の教育の仕事は、友人のように曲となってのこる
ものはなく、塾生の中に即座に消化され変容してしまう。
 それでも、何かの形になると信じている。願っている。
 そうしないと、やっていけない仕事である。
 私にとって、塾生、万歳である。
 
posted by 東葛MAXゼミ at 20:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。