2011年03月17日

「自然」

 今回の東北関東大地震は、日本の社会にとって大きな打撃であり
多くの被災者の冥福を祈るのみである。
 しかし、300年来営営と築いてきた建物や農地、養殖地は、たったの数時間で、更地になり自然に取り戻される形になった。
 原子炉破壊も同様、自然の物質を操作し我が物にしようとしている人類への警鐘をならす事となった。
 この機会に、日本国民は、真に自然と共存する道を探る必要がある。まずは、「自然の通り道は空ける。」必要がある。
 塞いだり、侵食したり、閉じ込めたりしてはならない。
今回の大地震は、人間の真実の姿や態度が多く見られたことはない。よって、真実実のない人や要人の会見などは回りくどく陳腐で
あることが如実に現れている。
 
posted by 東葛MAXゼミ at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

「比較」

 今や比較社会だ。
「あの人よりこの人」「このグループよりこっちのグループ」「この店よりあっちの店」「この会社よりあの会社」「こっちの大学よりあっちの大学」
「こっちの学校よりあっちの学校」「あっちの塾よりこっちの塾」「この品
よりあの品」最近では、「この家庭よりあっちの家庭」といった、様々の
ことを、比較して優位なところ、都合の良いところ、利益のあるところ
格好がよいところに鞍替えしている。
 いわいる、物や事を選択して行動する形になっている。この行動は、確かに、豊かさへの比較力、判断力が身に付くかもしれない。
 しかし、気をつけて考えると、自分でつくる過程が少ない、他人がつくった(創った、造った、作った)物ばかり、自分でつくったりものはほとんどない。中には、人のつくったものを紹介して大手を振っているものもいる。あたかも才能があるように。他人のつくったものでブームをつくり
人気者になっている人もいる。どれも、比較に価値を見出す文化であり創造に価値を見出す文化ではない。
 ですから、無責任社会になること必定である。自分が関与してつくったものでないので製造、制作の責任、主体がないからである。
 社会に必要なのは、進歩に重きをおいた自分の創造、組織を発展
させる行動と協力、そして、創造。自分を成長させる熱意に価値を置く社会が、ものづくり社会が重視される必要がある。すなわち、比較ばかりしていると自分がつくれず主体が無く、流行に右往左往する人間になるからである。
 自分を磨く塾生、わが塾を良くしようとする講師、塾を信頼している保護者が多くいる塾ではあるが、一層発展させたい。 
posted by 東葛MAXゼミ at 02:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月02日

「違いに学ぶ」

 精神科のある病院に勤務していた頃、精神を患っている人と、健常
者と呼ばれる人との違いは、敏感であるか、鈍感であるかの違いである。私など患者さんから見ると、鈍感極まりないわけである。
 健常者と呼ばれる人が実は問題となるケースもある。
 敏感かつ完璧である人からみると、私などいい加減であり滑稽に
見えるわけである。
 私のような人が、さも偉そうなことを言っていると、敏感且つ完璧である人は、日頃から腹ただしく思うわけで、鬱憤もたまる。
 よって、あるきっかけがあると爆発するわけである。
 そのような人からは、謙虚に学ぶ必要がある。
 まず、人の名前は、氏名までをしっかり掴むこと。メモを取り忘れること無きようにすること。人は自分との違いが大きい存在であることを自覚すべきこと。さらに、自分の素人くささやばかさ加減を自覚すること。
こちらが完璧でないから常にその人に鬱憤をためさせる結果になっていることを知ること。などである。
 こうした人との違いに学び、自己中にならぬよう広い視野や柔軟性
を持って、社会の中でいろいろな人と交流できるようにしていきたい。
 交流できる、そのことが、塾生理解につながり、分かってくれる人となって相互の信頼感が生じ教育活動が好転しつつ進むわけとなる。
 教えることは教わること、相互理解することにある。人間の交流が
出来ないと相互に教え育てることはできない。
 

 
posted by 東葛MAXゼミ at 01:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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