2011年01月26日

「今日思う人生」

 作家、瀬戸内寂聴が書く文章に次の一説がある。
「振り返れば人生とは、会うべくして会った、なるべくしてなった」「大きな摂理の中で動かされてきた。」と言うほかない。としている。
 私も、振り返ってみると、皆そんなに大差なく平らなようなきがする。
 しかし、平らでも、充実感は、人それぞれのような気がする。
 「命がけで生きてきた」者とそうでなく生きてきた者とは充実感は違う
だろうし、人生を掛けられる仕事を持った者とそうでない者との幸福観隔たりも大きいと思われる。
 「一生の仕事を持つことは、その人にとって幸いなこと」である。
よくおくふろが「一生の仕事を持ちなさい。」と口癖のように云っていた。自分にとっては「教員」として、今でも教育関係者としていられる
ことは幸いである。
今日も塾生と将来について話し合うことが出来た。
塾生の母親は「資格を持ちなさい」といっているという。
 確かに、「資格」は、安定した生活をする為のパスポートである。
 「資格」は安心して生活するための糧になり得る。
 私も大賛成である。
 「美容師になって店を持つ」ことが中2女子生徒の希望であると言いう。とてもよいことである。
 小学6年生の男子の一人は、「船乗り」になるため「商船学校」を
目指したいとのことである。
 前年秋に、鉄道員になりたかった卒塾生が「東武鉄道」に入社できた。とても嬉しいことである。
 今、人生について塾生と話せることは、自分にとって感謝できる人生
を送っているような気がする。
 あす、また頑張れる。
posted by 東葛MAXゼミ at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「兄弟姉妹」

 私は、兄弟姉妹5人いた。一番下だ。よく「バッチ」と言われた。
末っ子の意味である。
 姉二人は、8才と生まれて8が月で亡くなった。病気である。
残ったのは、男3人で物心付くまで、男3人兄弟だとばかり思って
いた。
 今や、その兄達も、病気が原因で他界し、自分一人となった。
勿論、父親も2歳のとき母親も自分が21才の時亡くなっている。
しかし、ことあるごとに兄達は、側にいるようような気がしている。
 先日新聞で、斉藤茂吉の詩が載っていた。
 「弟と相むかいてものをいふ互(かたみ)のこえは父母のこえ」
 とあった。
 自分も時より、塾生と笑うが、その笑い方、声は直ぐ上の兄と
良く似ている。「はっとする」し、複雑な気分にもなる。
 遺伝子は、脈々と続く。「血は争えない」とよくいうがその通りである。
 現在、怠慢のつけがまわり、苦境にある。生きていた時には、頼りにしなかった、兄貴達に相談したい気分になっている。
 不思議なものである。「霊験」があるように思えてくるからだ。
 しかし、「沈黙」あるのみである。
 その沈黙の中に、ふつふつと感じるのが「働き者」の遺伝子である。
 人の助けをかり感謝しながら「働く」しかない。このことである・・・・・
posted by 東葛MAXゼミ at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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