2011年01月13日

ふと思う「顔」

 良くてテレビで、外国の子ども達と日本の子ども達のやその様子が
映し出される。
 その時思うことであるが、貧しくとも外国の子ども達の目が輝いているようにおもう。

 日本の子ども達の目は、何か精彩がない。
 日本の子ども達は、満たされているのか、何処か希望がないのか
目力が感じられないのである。
 これでいいのかな?と、ふと思ってしまう。
 大人でもそう感じるときがある。日本の首相が、外国の要人と集合
写真を撮る時の顔も何か、迫力にかける。何をしにいったのか成果が
あったのかはっきりしない顔つきであることが多い。だだ要人と並んでいることに喜びを感じてしまっているように思える。
 スポーツの対抗戦でも勝つ日本の選手の顔つきは違う。目に力が
ある。救いである。
 日本人の顔と将来を思うに、これでいいのかな?と、ふと思うことが
ある。
「ふと思うこと」が度々である。
posted by 東葛MAXゼミ at 17:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「変化」

 変化といえば、大きな変化は、自然である。
確かに、山は今も昔も変わりなく、川は悠久の流を保ちといったところですが、私の子どもの頃と今は大きく違う、わずかと云っていい、数十年前の話である。
 この辺の川から、めだかが消え、たなごが消え、くちぼそうが消え、たにしも消えた。ざりがにさえめったにお目にかかれない。
 近くの江戸川には、あゆが飛びは跳ねた。出世魚と云われる、ぼら
の幼魚のセイゴもいた。皆周りから消えた。
 気候も寒い寒いと云ってはいるが、満天の星空に、貰い湯の手ぬぐいはあっというまに棒立ちになった。氷つくのだ。この辺で・・・・
 季節もはきりとゆっくり変わった。今は、激しく、何が起こるかわからないように変化する。したがって、経験による予測は事故のもととなる。 
 こうした変化は、人にも及ぶ。間違いない。川同様に、人の心から沢山の豊かさを失しなわせる結果になっている。「孝行」「質素」「倹約」「素朴」「勤労」が失われた。そのうち「感謝」「素直」「真面目」「正直」が失われるであろう。「流は、善くよくない」・・・・・
 
 
posted by 東葛MAXゼミ at 02:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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