2011年01月10日

「約束と言い訳」

 「約束事は守らなければならない。」
世の常識である。しかし、結構、守らないケースを持つ。
後回ししてしまい、結局約束を守らない事態いになってしまう。
待ち合わせ時間など、待たせるのが気の毒に思い、ぎりぎりに約束する。それがいけない。破らないまでも、遅れる結果になる。
 こんな時、言い訳いって誤魔化し、相手の寛容な判断や心情に助けられる。しかし、ほんとうは、大きな損失を被っている。
 信用を喪失と人格への懐疑である。相手も自分自身にもである。
話はややかわるが、現在、中国女性の医療従事者資格の取得のため、数学、国語、論文指導を受け持っているが、指導時間、指導内容、指導開始時刻、指導料金、調査費用などで文書による取り決めをする必要に迫られている。
 少しの指導時間でもトラブルになりそうな感じを持っている。
 日本人的な口約束では収まらないのである。ビジネスとなると
「契約」である。ちょっとの間の指導といったことで「約束」でとどめようと
したのが誤りであった。「契約」となると利益と損失が明確である。
 約束は、目に見えない人格と人格としての契約である。
 約束は、人間しかできない。 心しておきたい。 塾生の指導にも生かしたい。
posted by 東葛MAXゼミ at 11:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「天秤」2

 天秤で重さを比べると、ほんの少しでも重さの違いがあると傾いて
しまう。傾くと大きくちがう。
 日頃の物事を選択判断するのも、少しのことで右に行ったり、左に
いったりしているようきがする。
 競争でも成績でも最後の一踏ん張りが、毎日の小さな積み重ね
が、勝敗を決するようなきがする。
 この少し、刹那の努力が人間生きていくには非常に大切なようなきがする。
 ほんの微量で傾き始めると後は非常なちがいとなる。右の曲がって
進めば道や世界は大きく違ってくる。
 人間の進化の過程でも生活圏の寒暖の選択の違いで、猿のままか、現代人になったかの違いとなる。
 はじめはほんの少しの違いである。この微量なものは、決して侮れない。感覚を研ぎ澄まし、確かな心眼で、自分にとって納得できる方向に行きたいものである。幸せの方向や世界にいくために・・・・
 そのためには、基本として自己の確立、素直な性格、豊かな人間関係をつくれる人間になるよう努力したい。
posted by 東葛MAXゼミ at 01:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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