先生が、生徒のご機嫌を取るために、面白いギャグを飛ばしたり、
ゲームを考えたり、縫いるみを身に着けて登場すといったことをしている
らしい。
生徒は、気に入らない先生の粗探しをしたり、「せんこう」と漢字
転換できない言葉を使い、先生を「えてこう」扱いをしたり、良くても
名前の呼び捨てをしているらしい。
末には「セクハラサイコロ」なる事件まで発生し、児童と先生が喜ぶ
屈折したゲームが登場することまでになっている。
マスコミがそれを取り上げ、主客転倒の社会の形成は、マスメデアにもその一端のあることも露見し続けている始末である。
教育の「知る喜び」「わかった感動」「腑に落ちる感覚」「努力
の結果から生じる感謝の気持ち」が忘れさられて長い月日が流れた
結果であるような気がする。
コミュニケーションが上手くなったような世の中だが、人間性がやはり
根本にあるのであろうか?上手くない。相談の関係が取れないよう
である。主客転倒、人間性の崩壊、一部の崩れか?
主客転倒、当塾では許されない。学習の主役は、塾生であることは間違いない。指し示し、導く主体は指導者である。