2010年04月30日

「飛沫」

 洗面所で顔を洗う時、結構周囲に水のしぶきが飛んでいる。
 てんぷらを揚げる際も同様である。
 ペンキなどの作業、機械を使っての部品製作、印刷屋さん
 など作業服を必要とする仕事は、その時使う材料の「飛沫」
によって汚される。
 何か作業や行動を起こすと何かしらの「飛沫」によって汚されたり
影響を受ける。それも結構知らない、気が付かないうちに影響を
うけている。
 このことと同様に人間関係の間に、人間同士の生活の中で、
結構心理的な飛沫が周囲に影響を及ぼしているものと思われる。
 例えば、夫婦関係の軋轢から発する飛沫は気が付かないうちに
子どもに影響している。
 子どもが、問題を起こし夫婦間の繋がりを修復且つ強固なものに
した事例はたくさんある。
 中には、何で子どもが問題を起こしたか気がつかず、夫婦が躍起になって協力した時に問題は解決した例がそれである。
 物の飛沫も見えにくいが心と心の関係から生じる飛沫は目に見えないだけに厄介である。
 塾においても、人間関係の中で教育が展開される場合が多い
ので、そこから生じる飛沫の影響をしっかり感じるとが大切だと思って
いる。
 また、塾生と教材と講師が三位一体となって調和した教育
活動していれば飛沫も飛びにくいもと考てえる。
                               
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2010年04月29日

「構え2」

 将棋の棋手など、将棋を打つ「構え」を持っている。プロとなると
その構えに風格がある。
 プロ野球選手もそうである。ユニホーム姿は格好がいい。これまで
の選手の中で、格好良さは、なんといっても長島茂雄である。
 (時代がわかる)
 競馬の騎手も同様で「武 豊」などやはり格好がいい。
 変な話だが、マージャンやパチンコなども、強い人、うまい人は
座って牌を打つ姿や台の前の打つ姿でわかるという。
 健康で長生きをしている人も姿勢がピンとしている。人に接する
構えも前向きである。それに、明るく、落ち着きがある。
 しかし、どの分野でもそれなりの構えが出来る人は、長い経験や
ケースを処理して出来た姿である。
 塾生の中でも、この原則はいきている。
 やはり、学習成果を上げる生徒は、意欲と熱意を発散させ
構えも様になっている。
 俗に言う、オーラが出ている。
 全員が、やる気の構え、オーラを発散させて学習する塾にするよう
塾生、講師共々頑張りたい。 
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2010年04月26日

「椅子」

 「椅子」 公園の椅子、応接室の椅子、病院の椅子、学校の椅子、食堂の椅子、飛行場の椅子、ゴルフ場の椅子、社長の椅子、ドクターの椅子といったように椅子はいたるところに置かれている。
 椅子の置かれている場所や情景によって、人生のような物語が感じられる。
 そして、いつでも座れる椅子があると思えば、一生座れない椅子も
ある。また、これから夢のある椅子もあれば、夢の無い椅子もある。
 心のうきうきする、海外出発ロビーの椅子もあれば、裁判所の
被告人席のように冷たい椅子もある。
 そのうち、「椅子」という題名で何かしらのヒット作ができるかも知れない。楽しみに待ちまちましう。
 貴方は、今どんな椅子に腰を下ろしたいですか?
 飛行機の椅子ですか? 山の休憩所の椅子ですか?
それとも、船のデッキの椅子ですか?眠れる椅子ですか?
 塾生には、学校に椅子があっても座ることの出来ない状況には
させたくない。
 将来、希望高の椅子、学究できる学府の椅子、楽しく安心して
働ける職場の椅子に座れるような力と英知のある塾生を育てたい。
 貴方に、どんな椅子が用意されていますか?
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2010年04月22日

「豊かさ」

 卒塾していった生徒には、豊かな人生を送って欲しいと願って、
日々塾教育にあたっている。
 中には、結婚して子どもを持ち安定した生活をしている卒塾生も
いる。大学進学を果たし、一流企業の社員に、公務員になった
者もいる。
 つい最近、「自分に与えられたこと、楽しめることが豊かさである。」 
ことを聞いた事がある。
 塾生には、こうした気付のある人生を送って欲しいと願うとともに、
自分に与えられたことが、大きく充実に満ちているようになる努力
をしてほしいとも思っている。
 無いものねだりは必要はないが、与えられてることが楽しめるだだけ
大きいものでなくてはならない。
 そのために、当塾では人生充実の能力をつけるため、足元の能力
を見据えて着実に実践していきたい。
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2010年04月20日

「聞くと学習」

  良く学習や講習会などで、指導やコーチを受ける時、自分の思いや感想を述べるのが、時間的、内容的に多く、コーチの指導が短くなってしまう人がいる。時には、言い訳が多く、肝心な事に指導時間を失う人がいる。
 よほどの天才か、秀才ならいざ知らず、普通の人は、先駆者に
指導を受けて高みに上がった方が良いと思われる。
 普通の人でも、他にやることが山ほどある。
 塾でも、質問して早く解決し、次の段階に進んだほうがよいと思われることが沢山ある。
 反面、自分でもんで、悩んで解決した問題は、自覚し記憶しているので、将来に役立つことが多い。
 よって、教育は、この二面性のバランスを取った指導が塾では
は大切となってくる。
 頑張る。まず、聞く事が得意な人物が必要「になってくる。
 
 
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2010年04月19日

「大雪」

 先日40余年ぶりに4月の雪がふった。
 最近の気候変動は激しく例年にないものである。
 寒暖の差が激しく、新芽が枯れてしまい木々野菜の発育に大きな
打撃を与えているという。
 特に、お茶の産地は、ひどいものらしい。
 この成長期に、一番大事なとき、一年の稼ぎを左右する時の
打撃は死活問題である。
 自然のなせること、誰を恨むわけにはいかない。
 しかし、教育の世界でも、子どもが成長するとき、成長のための
好条件のとき、成長の用意が出来ている時、 いわいる、レデネスである。
 この用意性があるのに見過ごして、用意性のあるもの教育しなかったり、用意性がないのに先走って押しつけたり、全く用意性とは違う的外れの活動をしたりすることがある。
 また、学習の意欲の芽が出てきていりのに、その意欲の芽を
潰してしまう愚行を家庭、学校、塾教育がしてしまうことが多い。
 この愚行の結果は、すぐに出るものでもなく、じわじわ効いてきたり、
気が付かないで過ぎることが多い。
 力量のある教育関係者は、こともの個人差に応じ、図形認識はいつ頃からいいとか、理論的思考の育成はいつごろがいいとか分かっている。
 問題なのは、素人さんが教育に携わったり、親が家庭教育と
学校教育との混同を起こし、指導法が違うので、うちの子は分からない、出来ないといってくる、他人への不信をつのらせることにある。
 このことが、子どものやる気の芽を潰す一つ原因になっている。
 当塾は、大学の教育学部を卒業し、学校教育を経験、塾
の指導も12年の経験を踏んだ者を筆頭に、教育関係者が多いので、伸び盛りの子ども芽を、大雪みたいに潰す、枯らすことはないと
確信している。
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2010年04月16日

光る言葉

 最近、ことばがおもしろい。
 インタビュウーに応えた、韮生産者がこういった。
 「今年の韮は、寒さを吸って、美味しくできました。」
 また、テレビ出演の料理家が、「料理は科学です。」といっていた。
 宇和島の石垣ジャガイモの生産者は、「お日様と石垣に暖められて
ホクホクになっています。」と・・・・・・・
 言語表現も、地に足がついていると納得させられる。
 指導でもワンパターンにならず、納得の腑に落ちる指導表現をしてみたい。   
             
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2010年04月14日

「中庸」

 イギリスの喜劇王チャプリンが、「人生は近くで見ると悲劇だが遠く
で見ると喜劇である。」と言ったそうである。
 では、人生は、その中間で見るが一番か?
 かの哲学者カントも、物事は中庸がよろしいと言っている。
 一休禅師も「この橋わたってはいけませんいけません」との立て札
に、真ん中を渡ってきたという。
 確かに、人生「真ん中」もいい。しかし、そうはいかずに悩む。
 そこで、カウンセリングでは、「しなやかに、ゴムのように近くに行ったり
遠くに離れたりする弾力のある関係を保つこと。」との考え方があると
している。
 何事も、「硬化」は避けるべきか?
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2010年04月09日

「病院で・・・」

 ある病院でこの言葉を目にした。
 小医は、病を癒す。
 中医は、人を癒す。
 大医は、国を癒す。
 と、なるほどと思った。
 勿論、小医、・・・は辞書にはなく、造語である。
 確かに、言い当てて、妙である。
 しかし、教育は、100年の計である。
 100年後を(実際は20年後)を目指して、教育は授業を展開
 している。
 教育は、100年を見据えた国づくりである。
 教員時代、いや、今も持つ教育に携わる者としての心得である。
 
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2010年04月07日

「砂の国、水の国」

 世界には、雨のあまり降らない、乾燥した砂の多い国と水と森林
の多く豊富な国がある。
 前者で生まれたのが、キリスト教であり、ヒンド−教である。
自然との闘いの中で生まれた宗教的文化である。この、自然との対峙のなかで生まれた文化の中で育つ民族は、厳しさを自然と身に着ける。このことは、生き方やスポーツのなかで目に見える形で表現される。
 一方、水の豊富な緑豊かな日本のような国は、自然に寄り添う
形で生きていくことができ、自然崇拝的な宗教や文化が生まれ、
闘うよりも協調、調和して生きるようになる。
 よって、世界的に見て、日本が劣勢に立つことが多いには、
この為と考えられる。
 近く、サッカーのワールドカップが開催」されるが、この民族の違い
の視点jから試合を観戦するのも面白いと思われる。
 勉強においても、各家庭の厳しさ、文化や生き方の違いが、
塾生の成長に大きな影響を与えることは間違いない。
posted by 東葛MAXゼミ at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「桜」

 桜の花が、関東地方は、満開である。
 この桜の花も、蕾の内に、寒い冬の間に「冬眠打破」といった過程
を経ないと花は綺麗に咲かないらしい。
 また、桜のピンク色は、桜の幹のところでうまれるらしい。
 桜の皮を煎じると、煮汁でピンク色を染めることができるという。
 桜といえば三春の桜を思い出すが、良くいく所は、幸手の権現堂、北越谷の元荒川の桜は見事である。
 行ってみたいのが、北は弘前城の桜、本場の吉野山である。
 しかし、年々桜の花の色が、薄くなっているようである。自分の
気のせいでなけれいいと思う。
 いつも、この季節になるとはるか遠い昔、おふくろが、友達と手
組んで花見客を相手の出店を出し一儲けしたらしく、はしゃいだ
若々しい様子をみせたことを思い出す。独り者のおふくろの華やいだ
顔である。
 また、桜は、教員としても常に校庭咲き誇る様を目にしており、私の心の原風景となっている。
 来年も、塾生の「桜咲く」を目指し年度始めの決意を固めた
ところでもある。毎年、さくらと関係を持つことができ感謝である。
 「すぐに桜吹雪の日がやてくる。」・・・・・・・山間に、ぽつりと
咲く山桜が好みでもある。
posted by 東葛MAXゼミ at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

「新年度」

 桜の花も満開になり、いよいよ新学期、新年度がは始まる。
小学生も中学生も高校生も1年生は初々しい。
 ことの始まりは、期待と希望、不安が交錯して、ある程度の緊張感
があるからだろうか?
 「初心忘れるべからず」との諺があるように、初めの一歩が基礎
になり、人生の方向や心得を決めていくことになる。
 よって、この出発の時に、祝う気持ちと同時に基礎と方向、心得
の決まる時と考え出発する必要がある。
 話は少し変わるが、教員としても、最初に赴任した学校で教員
としての姿勢や心得、指導水準が決まると言われている。 いまでもそうであるらしい。

 たとえば、地域の研究校や中心校、伝統ある学校に赴任した教員
は、その後も実践力に満ちた先生になることが多い。研究授業や
教材研究、指導法に関する実践がどんどん行われるから、それが
あり前となっているのである。
 そうでない、学校に赴任した新任教員は、初任研での研究授業
授業くらいで回数少なくて当然、これがあたりまえと思ってしまうのである。この、あたりまえの捉え方の違いが、赴任先の学校で起き、これが数年続けば大きな違い、取り返しのつかない指導力の違いと
なっていくわけである。
 このことは、塾生の進学先で起き、大きな実力差となって、大学
受験、就職戦線での結果に繋がっていくわけである。
 しかし、このままではいかないこともあって、 これもまた、広義の出会いの妙であるかもしれない。
 卒塾生にも、新年度の環境と気構えフルに活用し、努力と忍耐を持って学問にあたり、出会いの妙を味方にして出発してもらいたい。
 結果が出発にもあることを意識して・・・・・・



 
posted by 東葛MAXゼミ at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

「不平不満」 

 「沈黙は金」「忍耐は美徳」「辛抱」といったことは、死語になってしまったのか、 自己主張が目立ち、教育界には、モンスターペアレント
なる者が出現し、教育委員会で対策のための手引書を作成する
までになった。
 確かに、責任に裏付けられた権利の主張は必要であるが、何も生まない不平不満をあたかも権利の主張のごとく認識して行動する
人が少なくないうようである。
 しかし、不平不満を持たれる側にも責任がないわけではない。 
 等塾においては、11年の経験ですと、講師の指導のすき(塾長)
から、成績がUPせず保護者に不満を持たれたことがあった。
 不満を持たれると、塾の変更が生じ、悪くなると、「塾わたり」と
なって、「塾を変えると成績がUPする」といった成績優先、人間性
の希薄の育成に落ち込んでいくからである。このことが不平不満を持つ原因ともなって、さらに、人間性を崩し人の評価を落とし、自分の
力が何倍にもなる仲間の協力を得られなくなってしまうことになる。
 誰しも、人の不平不満は、聞きたくない。聞くごとに落ち込む。
 「不平不満」の解消は、「自分の足るを知る」「感謝あるのみ」で
 である。


  
posted by 東葛MAXゼミ at 21:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

出会い 2

  つい最近まで自分の人生は自分で切り開くことが大切である
 と思っていた。
  確かに、自分の人生は、自分のものであり、自分が主体で
 であってもOKである。
  しかし、実際は、多くの人との出会いの中で、自分の人生が
 投影され、判断がくだされるとなると、何かを成し遂げようとする時
自分自身だけでは到底無理である。
 また、人生を豊かにするには、自分自身が豊かで、それなりの
実力が無ければならないとしてきた。
 言い換えると、自分の人間的波長を高めることが大切であると
思ってきた。
 そして、その波長が自在にできることを理想としてきた。すなわち、
多くの優れた、優れ所を持つ人たちと交友や仕事が出来ると考えて来たからである。
 今までも、塾生には、勉強や運動に励み、自分を高めることは
豊かな人間と出会いが可能になり、おのずと自分も豊かな生活
が出来ると信じているので、自己向上を図れるよう、指導している。
 人間的波長と言えば、名戸ヶ谷病院で事務長として勤務した
際、一際高い波長のDrと波長を合わせようとしてが、くたびれて
てしまった。記憶を持つ。
 Drの中には、ゴルフを始めた私と早朝ゴルフを通して、ゴルフと
そのマナーを教えてくれたDrもいる。
 いずれにせよ、出会いは、波長の合致、すなわち、息が合うことが
出会いを良いものにするわけである。
 今では、波長を高くより、より広がりのある、充実した波長にすべき
努力をしたいきたい。
 
 
posted by 東葛MAXゼミ at 23:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「出会い」

 人の出会いについては、以前書いた覚えがあるが、最近は、
俳優三国連太郎と映画監督木下恵介の出会いについてのテレビ
放送があった。
 戦後間もない銀座の闇市で放浪していた三国を、監督が映画
スターに押し上げた出会いである。
 三国は、妖気迫る老人の役作りのために、前歯をを数本抜いて
挑んだという。
 上手くやろうとせず、あいのままの役作り、人づくりに徹する生き様
は、三国と監督の間で生まれたものであるという。
 私も、教育界、医療界、福祉の世界で人生を歩み、多くの人と
出会った。三国連太郎のようにこれといった特定の人物はいないが
強いていえば、日立製作所時代の、友光課長である。
 10代の自分に広い世界のあることを示して頂いた。日立を辞め
勉学の道に進んだ出会いのひとである。
 高校の時代も、石井先生に教師の道の良さを示した頂いた。
 教育の道を長く、且つ、今も塾長として仕事をしているのも、恩師
のお陰である。
 医療界に入ったきっかけは、秋元豊先生、カウンセラーとしては
国分康孝先生との出会いがあったからである。
 福祉の世界における、特養の施設長の役目の遂行は、新谷
ドクター兼理事長との出会いがあったからである。
 福祉の世界は、特に、年の取り方を知ったり、これからの道の
在り方を知るきっかけとなっている。
 新谷先生には、広島流、経営学も学ぶことができた。
 リハビリの専門学校(理学、作業療法士)を2校立ち上げた経験
も、新谷先生との出会いからである。
 こうした時代の出会いは、確かに自分の人生の羅針盤になって
いる。
 こうした、出会いの他にも、多くの人たちとのキラ星のごとき出会い
が積み重なっている。
 自分もまた、幾人かの人の心の層になっているかも知れない。
 しかし、一番の出会いは、自分自身との出会いである。 


 
posted by 東葛MAXゼミ at 00:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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